この一年ほど、練習や学びの場、ボランティアとして人の身体に触れる機会が続く中でずっと考え続けてきたことがあります。
どうして音叉を顔やデコルテに充てただけなのに、身体の左右差が整ったり軸が整ったり、痛みが消えたりするのだう。
音叉を充てた場所から身体はどんな情報を拾い、中でどのようにして調整していくのだろう。
今日、ようやく「これだったんだ」とはっきりイメージできたような気がします。
音叉セラピーというのは、どこに効かせるか、何を狙うかを考えることではない、そう思ったのです。
例えば、音叉セラピーで顔に入力された触覚や振動、位置の情報は、脳幹・視床で交じり合い、体性感覚野や小脳で統合され、その人の神経系全体として「今いちばん合う、そして無理のない答え」に再編成される、と。
だから、
顔しか触れていなくても、身体の左右差が変わることがある。
それは不思議でも魔法でもなくて、神経が本来持っている調整力が働いた結果なのだと思います。
今日改めて感じたのは、
音叉は「身体をなおす道具」ではなく、「神経に判断材料を渡す道具」だということ。
入力したあとは、どう統合するかを決めるのはセラピストではなく、本人。
本人の脳神経と言ってもいいと考えています。
私がやることは、安全で過剰ではない、余白のある入力を置くことだけ。
安心できる場を整える。
あとは本人の身体に(神経に)任せる。
考えてみれば、これはとても楽なやり方です。
カイロプラクティックのように、どこがどうズレているのかを必死に考えなくていい。
「正解」を外から与えなくていい。
音叉が、
神経が自分で調整する余地を取り戻すためのきっかけを、静かに置いてくれるから。
そして入力された感覚が中枢でまとめ直され、身体全体がひとまとまりとして反応していく、そう感じます。
やっと、ここに辿り着いた気がしています。
音叉の本質は、
何かを起こすことではなく、
何かが起こるのを邪魔しないことなのかもしれません。
*音叉には、身体に触れずに行うエネルギーセラピー的な使い方もありますが、それについてはまた後日書こうと思います。


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