あたたかさと怒り

詳細は言えないのですが、

言えないなら書かなければいいのかもしれませんが、

でも書きたくて、書かせてください。

今日、私にとって特別な予約をいただきました。

うれしくて、ありがたくて、あたたかくて、

少し信じられないような気持でいます。

ありがとうございました。

その一方で、今日は外食先で、強い怒りがそのまま人に向けられている場面にも遭遇しました。

注文した料理が届くのが遅いことに腹を立てた男性が、若い店員さんに不機嫌な態度を取り、店長を呼ぶように強い口調で求めていました。

忙しい時間帯だったのでしょうし、実際にはその方の料理だけが極端に遅いわけでもさなそうでした。

男性は怒りが収まらず、若い店員さんに対して厳しい言葉が続いていました。

私が最もわからなかったのは、男性の家族の中には、その若い店員さんと同じ年ごろの娘さんがいた、それなのにその店員さんに対しての眼差しはとても冷たかったことでした。

親心や想像力が少しでもあれば、ああいう眼差しにはならないのではないかと思ってしまいました。

店員さんは、私の料理を運んできてくれた時、涙ぐんでいるようでした。

ああいう場面に出会うと胸が痛くなります。

感情が強く動くことは誰にでもあることだと思います。

でも、怒りによって超えてはいけない境界を越えてしまうと、傷つく人が出てきてしまう。

人によっては、感情のコントロールや状況を引いて観ることが難しいことがあります。

そこには、生まれつきの傾向もあれば、育ってきた環境や神経の反応の癖も関わっているのだと思います。

今日は、あたたかな気持ちを受け取った日でもあり、神経のあり方の違いについて考えた日でもありました。

こういうことを考えていると、今読んでいる本の内受容感覚のことにもつながっていくのですが、それはまたあらためて書いてみたいと思います。

今回も少し抽象的な文章になってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございます。

*内受容感覚とは、お腹の感じや呼吸、心拍の変化など、身体の内側を感じ取る感覚のことです。

参考まで:『脳の外で考える』(アニー・マーフィー・ポール)

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